唐の第2代皇帝である太宗(たいそう)が、避暑のため離宮の九成宮を訪れた際、水資源が乏しい地にもかかわらず、敷地内に清水が湧き出ているのを発見。これを吉兆と喜び、撰文を魏徴(ぎちょう)、書を欧陽詢(おうようじゅん)に命じて立碑したものです。
楷書美の典型のひとつで「楷書の極則」と言われています。直線を主体とした点画はゆるぎなく、縦長で凛とした姿態は実に美しいものがあります。
唐時代には多くの書家が活躍しましたが、なかでも傑出していたのが欧陽詢、虞世南(ぐせいなん)、褚遂良(ちょすいりょう)でした。これらの書家に中唐期の顔真卿(がんしんけい)を加えて、「唐の四大家」とも言います。
「大唐三蔵聖教序」と「大唐三蔵聖教序記」の対となる2つの石碑の総称で、高さは2メートルくらいあります。陝西省西安の慈恩寺の大雁塔入口に現存します。
「西遊記」で有名な三蔵法師(玄奘)が、17年の歳月をかけ、インドや西域諸国から多くの仏典を持ち帰った功績を称え、唐の第2代皇帝の太宗(たいそう)が序文を、皇太子の高宗(こうそう)が序記を与え、これらを石碑にしたものです。
その書は、弾力、太細、強弱の変化が多彩で、強靭な細線は実に見事です。行書的リズムを持って書かれており、褚遂良最晩年の格調高い華麗な楷書の名品です。
中国洛陽(らくよう)の南、龍門石窟(りゅうもんせっくつ)にある、造像記のひとつです。石窟には死者の冥福を祈って多くの仏像が彫られていますが、それらの仏像の横に、像を造ったいわれを書いたものが「造像記」です。
龍門石窟には全部で35の洞窟があり、牛橛造像記はそのうち最も古い古陽洞(こようどう)の中にあります。長楽(ちょうらく)王の夫人が夭折した息子・牛橛のために弥勒像を作り、冥福を祈ったことが記されています。
牛橛造像記は、龍門石窟の中でも格調高く、力強い筆致は見る者の心に迫ってきます。